甲斐適生活応援隊ガイドブック 山梨Life 04 page 5/24
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仕事中心から、家族中心へ。環境を変え、生活をリセットすることに。日本一人口が少ない町として知られる早川町は、南アルプスの山々に囲まれた美しい町。「当時、この町にオートキャンプ場がオープンしましてね、週....
仕事中心から、家族中心へ。環境を変え、生活をリセットすることに。日本一人口が少ない町として知られる早川町は、南アルプスの山々に囲まれた美しい町。「当時、この町にオートキャンプ場がオープンしましてね、週末になるとよく来ていたんです。ここは本当にいい所。東京に帰るのが嫌になっちゃうんですよ。特に日曜日の夕方は辛くてね。夕焼けを見ながら憂鬱になって、帰る時間もどんどん遅くなっていくんです。あー、もういっそのこと、家族で移住しちゃえ!って」。本さんが早川北小学校のすぐ近くに家を借り、一家で移住したのは2003年3月のこと。長男は6年生、長女は5年生、次男の祥馬くんは保育園の年長さんへの進級が、目前に迫っていました。いろいろあったけど、あの時の決断は正解でした。それから10年、長男は上野原の大学、長女は甲府の看護学校へと、それぞれ進学して家を出、祥馬くんもこの春には高校生になります。「うちの場合、山村留学とはいっても、留学したのは親父の方。子ども達、特に上の2人は、親父のわがまに付き合ってくれたんですよね。でもそのおかげで、あのまま青梅にいたらできなかっただろうことをたくさん経験させることができましたし、社会で生きていくための基礎的な能力を養うこともできました」と本さん。今では、地域を支える大切なメンバーとして町の長老からも一目置かれるようになり、町の祭事や行事などで中心的な役割を担うともに、早川北小学校の保護者やOB、地域の方々が組織する「北っ子応援団」の一員としても、山村留学する家族への積極的な支援に取り組んでいます。「私たちは共に福祉分野での資格と経験を持っていたおかげで、スムーズに就職できましたが、来た当初は、正直、環境は変わり、収入も約半分に減って、将来に不安を感じたこともありました。ただ、周囲の方々に本当に良くして頂きましたし、子ども達も元気にたくましく育ち、何より主人が元気になって、生き生きと今日まで暮らして来られた。いろいろありましたが、やっぱりあの時の決断は正解だったんですね」。そう言って微笑んだ奥様。視線の先には、キラキラと光る川岸で談笑する、本さんと祥馬くんの姿がありました。何かあっても笑いとばせる度胸が、何より必要かもしれませんね。田舎での暮らしは、計画通りにはいかないもの。祥馬くんは、小学校の頃スナッグゴルフの選手として全国大会にも出場。10年ほど前に、総工費20億円を掛けて整備された早川北小学校。ランドローバーユーザーやサファリレースの世界ではとても有名な本さん。「日本中、世界中から集まる仲間をもてなすのは、この自然。キャンプを張って、バーベキューをして…。最高に喜ばれるし、盛り上がりますね」。Profile10年前、町役場の紹介で借りた民家。「早川のような田舎には不動産屋なんかありません。家を借りるのにも、独特の方法があるんです」。自分や家族を中心にした生活を自分たちのペースで2002年3月、東京都青梅市から子ども3人(二男一女)を連れて家族で早川町に移住。揃って、高齢者福祉施設や公立病院にケアマネージャーとして勤務しながら、休日には、家族でアウトドアライフも楽しんでいる。ご主人の敏己さんは、毎年10月、マレーシアボルネオ島で開催されるボルネオサファリに、2001年より9年連続出場。現在は健康科学大学非常勤講師も勤める。本(もと)敏己さん(46歳)美千子さん(46歳)[早川町]3