早川町
本(もと)敏己さん(46歳) 美千子さん(46歳)
2002年3月、東京都青梅市から子ども3人(二男一女)を連れて家族で早川町に移住。揃って、高齢者福祉施設や公立病院にケアマネージャーとして勤務しながら、休日には、家族でアウトドアライフも楽しんでいる。 ご主人の敏己さんは、毎年10月、マレーシアボルネオ島で開催されるボルネオサファリに、2001年より9年連続出場。現在は健康科学大学非常勤講師も勤める。
10年前、それまでのキャリアをリセットし、山村留学一期生として、家族5人で移住した本敏己さん。日本一人口の少ない町「早川町」で手に入れたのは、自分らしい生き方でした。
東京で介護支援専門員として働いていた本敏己さん。「若い頃は仕事中心の生活でしたから、朝早く家を出て、深夜に帰宅するという毎日。子どもが小学校に上がっても、学校へ行ったこともなければ、担任の顔も知らないというありさまでしてね。車とアウトドアが趣味だったので、休日にキャンプをするのが唯一家族と過ごす時間でした」。とりわけ介護保険制度が施行された2000年前後は多忙を極め、ストレス過多の状態にも陥ったと言います。「どんなに忙しくて燃え尽きそうになっても、そこは踏みとどまって頑張っていたんですが、介護や福祉の基本であるホスピタリティと、収益性を高めることとの間に生じたひずみはどうにもならなくて。もがいているうちに、心も体も疲れてしまいましてね」。体を壊し、入院した本さん。「病院のベッドの上で、このままでは40歳まで生きられないだろうと悟りましてね。それで、自分なりに精いっぱい頑張って来たんだから、これからは、自分や家族を中心にした生活を自分達のペースで送って生きていこうと決めました」。
仕事中心から、家族中心へ。環境を変え、生活をリセットすることに。
日本一人口が少ない町として知られる早川町は、南アルプスの山々に囲まれた美しい町。「当時、この町にオートキャンプ場がオープンしましてね、週末になるとよく来ていたんです。ここは本当にいい所。東京に帰るのが嫌になっちゃうんですよ。特に日曜日の夕方は辛くてね。夕焼けを見ながら憂鬱になって、帰る時間もどんどん遅くなっていくんです。あー、もういっそのこと、家族で移住しちゃえ!って」。本さんが早川北小学校のすぐ近くに家を借り、一家で移住したのは2003年3月のこと。長男は6年生、長女は5年生、次男の祥馬くんは保育園の年長さんへの進級が、目前に迫っていました。
いろいろあったけど、あの時の決断は正解でした。
それから10年、長男は上野原の大学、長女は甲府の看護学校へと、それぞれ進学して家を出、祥馬くんもこの春には高校生になります。「うちの場合、山村留学とはいっても、留学したのは親父の方。子ども達、特に上の2人は、親父のわがままに付き合ってくれたんですよね。でもそのおかげで、あのまま青梅にいたらできなかっただろうことをたくさん経験させることができましたし、社会で生きていくための基礎的な能力を養うこともできました」と本さん。今では、地域を支える大切なメンバーとして町の長老からも一目置かれるようになり、町の祭事や行事などで中心的な役割を担うとともに、早川北小学校の保護者やOB、地域の方々が組織する「北っ子応援団」の一員としても、山村留学する家族への積極的な支援に取り組んでいます。
「私たちは共に福祉分野での資格と経験を持っていたおかげで、スムーズに就職できましたが、来た当初は、正直、環境は変わり、収入も約半分に減って、将来に不安を感じたこともありました。ただ、周囲の方々に本当に良くして頂きましたし、子ども達も元気にたくましく育ち、何より主人が元気になって、生き生きと今日まで暮らして来られた。いろいろありましたが、やっぱりあの時の決断は正解だったんですね」。そう言って微笑んだ奥様。視線の先には、キラキラと光る川岸で談笑する、本さんと祥馬くんの姿がありました。
本さんの愛車、英国のランドローバー。
2001年~2009年には、四輪駆動を駆使してジャングルに分け入るレース、ボルネオサファリに出場。好成績を収めた。
祥馬くんは、小学校の頃スナッグゴルフの選手として全国大会にも出場。
10年ほど前に、総工費20億円を掛けて整備された早川北小学校。
ランドローバーユーザーやサファリレースの世界ではとても有名な本さん。「日本中、世界中から集まる仲間をもてなすのは、この自然。キャンプを張って、バーベキューをして…。最高に喜ばれるし、盛り上がりますね」。
10年前、町役場の紹介で借りた民家。「早川のような田舎には不動産屋なんかありません。家を借りるのにも、独特の方法があるんです」。