小笠原 俊一さん 取材/2021.10現在
"おうち時間"に膨らんだ古民家改修への思い
2020年、世の中が一変し、多くの人々が影響を受けた新型コロナウイルス感染症のまん延。 東京都世田谷区で一級建築士事務所を営んでいた小笠原俊一さんもその一人で、設計を請け負っていたオリンピック関連の巨大プロジェクトが白紙になり、否が応でも人生を見つめ直すことになりました。 「2年間ほぼ掛かりっ切りの仕事でしたから最初は茫然としましたが、時間が経つにつれてこれからのことを考えられるように。そうした中で膨らんだのが、以前からいつか挑戦してみたいと思っていた古民家再生への思いでした」。 早速インターネットを活用して、自宅からのアクセスが良い山梨を中心に各市町村の空き家バンクを閲覧し始めた小笠原さん。手の届く価格の古民家物件をいくつかピックアップし、緊急事態宣言が明けるのを待って現地見学に出かけたと言います。
一方ご家族も、そんな小笠原さんの姿を歓迎していたそう。次男の玄さんが、「ずっとやってみたかったことを実現しようと動く父が、とても頼もしく見えました。古民家再生は意義のある良い趣味だと思いますし、家族は皆、父の新たな挑戦を応援しています」と笑顔で話します。
空き家バンクでの古民家探し
空き家バンクの古民家物件は玉石混合。同じ価格帯でも、掃除すれば住めそうな家から今にも朽ち果てそうな家まであり、写真では状態を把握しきれないので、実際に訪ね自分の目で確かめ肌で感じて検討することが重要と小笠原さん。 「良いイメージを持ちがちな古民家ですが、朽ち果てる寸前はなんとも凄惨です。実はこの家も、最初に来た時は屋内に古い家財道具などが積まれていて廃墟感がありました。でも、塩山は、息子達が小中学生の頃に家族で何度も遊びに来た想い出の地であり、私達家族にとっては特別な場所。諦めきれず、半月後に他の物件を見に来たついでに立ち寄ったら、すべて撤去されていたんですね。それで家の中の状態が悪くないことがわかり、俄然やる気になってその場で購入を決めました」。
その後話はトントン拍子に進み、10月下旬には契約を締結。登記の問題がクリアになった12月に引っ越しをし、2階から屋根が見える家々に引っ越しの挨拶をして回ったという小笠原さん。寒さが緩んだ2月中旬には、ご近所の方に紹介してもらった地元の工務店に一部作業を依頼し、床の貼り方や間仕切りの作り方などを教えてもらいながら、改修作業を始めました。
楽しみながら進める改修作業。
地域の人とのいろいろな交流も、田舎暮らしの醍醐味。
周囲の山々が色づき始めた10月中旬。訪ねたご自宅では、美しく張り替えられた母屋1階への薪ストーブの設置準備が進んでいました。
「長年設計の仕事をしてきたと言っても、造る方はまったくの素人。伝統工法は無理ですが、ノミやカンナといった大工道具が使えるようになる楽しさや、やったらやっただけ形になるおもしろさを味わいながらコツコツやっています」と小笠原さん。 かたわらには、毎月1週間ほど滞在して手伝ってくれているという玄さんの姿もあります。 周辺の方々とも良好な関係を築けているそうで、「かやぶきの天井の洗浄や古い畳の処分に手を貸して下さるなど当初から何かと気にかけて下さって、とてもありがたいですね。地域の方との交流はやっぱり良いものですよ。温かい気持ちになります」と、穏やかな笑顔。 季節の野菜や果物を頂いたり、おかずを差し入れてもらったりすることも多く、嬉しい反面、気の利いたお返しができないのが悩みだとか。さらに、ご近所の方の厚意で施設が見つかり、高齢のお母様を故郷の山口から呼び寄せることもできたそうで、「近くで暮らしたいという長年の願いが叶って、とても嬉しい」とも話します。
「2年程で完成できるだろうと思っていましたが、いざ始めてみると次々とやりたいことが出てきて終わりがない。今は、体が動く間はここにいて、家に手を入れ続けるんだろうなと思っています。目下の目標は、ご近所の方をお招きし途中経過をお披露目すること。ゆくゆくは、いろいろな方に気軽にお訪ねいただける交流拠点のような場所にしていけたら嬉しいですね」。
購入時の母屋の1階と2階。
補強しながらの改修作業。
美しく改修された室内。
ご自宅の前で玄さんと。